仲條正義 グラフィックデザイナー|インタビュー
仲條正義への100の質問!
亀倉雄策賞受賞展会期中に行われたトークショーでの質問と仲條さんの答えをご紹介します。質問にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。
Q1 円や三角、一番好きな形は?
(Q1〜11はAD 青葉益輝さんより)
A 僕は形に関して信用してないんです。
Q2 一番好きな色は?
A 僕は不器用な男ですから、単純にスミですね。色オンチというか。
Q3 一番好きな数字は?
A 若いころから2が好きで、変わらないですね。
Q4 好きなアルファベットは?
A Dの字が一等難しいですね。
Q5 生まれ変わったらまたグラフィックデザイナーになりたいですか?
(デザイナー 植原亮輔さん他)
A その頃はグラフィックデザイナーは無くなってるかもね
Q6 亀倉雄策さんはお好きでしたか?
A ええ。怖い人でね。年は15歳くらい離れてるんですけど、そばにも寄れませんでしたよ。晩年はやっと話せるようになりましたけど。
Q7 亀倉賞の賞金はどうしましたか?
A まあ女房がどうにかしちゃうんでしょうね。
Q8 カラオケで一番よく歌うのは?
(安部みちるさん)
A 僕はド演歌でね。生まれの古いせいもあるんでしょうけど、日本人の心は演歌でしょ。三度笠?歌いましょうか(笑)。
Q9 アルマーニ、プラダ、ユニクロ、一番買うのは?
A プラダは結構みんな着てるから……、でも、割と持っているかも。
Q10 床屋派? 美容院派?
A 床屋です。あと「花椿」の撮影の合間にヘアメイクさんに切ってもらいます。アウシュビッツのようなギザギザな頭にしてくれって言うんだけど、みんな上手すぎてできない……こんな頭どうだっていいんだけどね。
Q11 奥様のどんなところが好きですか?
A 女房に限らず女性はかわいそうだなって思っているんです。たとえば僕のような男に長年つきあわなきゃいけないでしょ。だから僕は割と女性にはやさしいと思います。
Q12 お酒とタバコ、やめなければならないとしたらどっち?
(けーぴー)
A どっちもやめませんね(笑)。
Q13 いままでに飲んだ一番高いお酒は?
A 金持ちでも貧乏でも、一生同じレベルのお店に行きたいですね。
Q14 お酒はどれくらい飲みますか?
(27歳 世田谷区 フリーター ハンプティ・ダンプティー)
A 毎日飲みます。少ない日でも缶ビール2本位は。
Q15 肝臓は悪くないですか?
A お酒を飲んでも飲まなくても健康状態は変わらないみたい。お酒のせいでA型肝炎とかならないんじゃないかな。
Q16 人生の中で一番高価な買い物は?
A 昔建てた家はリフォームしたりして全部で3000万位かかったかもしれないけど、戸がうまく開かないとか、ひどいもんです。最近では、この時計が38万円。それまでは自分でデザインした時計を使ってたけど、僕のデザインは時間がわからないから(笑)。
Q17 今日は何を食べてきましたか?
A お味噌汁とご飯にたらこと海苔。朝といってもお昼近いですから、1日2食です。
Q18 好きな食べ物は何ですか?
(29歳 埼玉県富士見市 イラストレーター 内藤成浩さん)
A 寿司屋のネタくらいですかね。
Q19 好きな音楽は何ですか?
(38歳 豊島区 自営 カトウミキオさん)
A 23、4歳位は、プレスリーがはやってましたね。今はスタッフが事務所でかけている音楽も右から左へ抜けちゃう。
Q20 子供の頃の思い出の映画は?
A チャップリンですね。戦前ですが。
Q21 最近観て面白かった映画は?
A う〜ん。タイトル忘れちゃうんでね。
Q22 最初に買った画集は?
(エディター 小関学さん)
A 写真集は当時、講談社から出た原弘さんの「現代写真全集」を買いましたね。見開きで1点どーんっていうのは贅沢な感じがしちゃう。アンディ・ウォーホルの作品が「ヴォーグ」のページに切手ぐらいの大きさで載っているのを見て感動したんですよね。
Q23 仲條さんはいつもおしゃれですが、洋服は自分で選ぶのですか?
(39歳 神奈川県川崎市 会社員 ふじこさん)
A 昔は銀座でオーダーメイドで作ってたんだけど、襟を広くしたり、パンタロンにしたり、全部失敗してね。それ以来、吊し(既製服)しか買わなくなりましたね。
Q24 初めて絵を描いたのは?
(29歳 埼玉県富士見市 イラストレーター 内藤成浩さん)
A 小学校の時ですかね。戦時中だから、水彩絵の具やクレヨンもあまりなかったけど。
Q25 学生時代、何をしてましたか?
(21歳 世田谷区 多摩美大生)
A 大学入るのに一生懸命で、入ったらやんなっちゃって、5月病。福田繁雄さんとか、周りの連中に引きずられて、日宣美に応募し始めたんです。
Q26 若い時にしておいたほうが絶対いい!ことはなんですか?
(デザイナー 佐野研二郎さん)
A なんですかね。人それぞれですね。
Q27 若い頃すごく遊んでいたと思いますが、一番印象に残った人(女性も含めて)は?
(電通 月村寛之さん)
A 月村の知らないやつだ!
Q28 学生時代に最も影響を受けた本は?
(23歳 我孫子市 武蔵野美術大学大学院 川端あやさん)
A 夏目漱石は読んだけど森鴎外は読んでない。
Q29 21歳の時、何を考えてどんな未来を夢みていましたか?
(21歳 東京都 武蔵野美術大学 HIWAKOさん)
A 僕はたまたま運良く資生堂に就職できたから……。
Q30 卒業制作はどんなものを作りましたか?
(19歳 杉並区 女子美短大 小比類巻 欄さん)
A ちょうど東京オリンピックが発表になった年(1956年)だったんです。それで、オリンピックのポスターB倍の4連を思いついたんです。(右上写真)
Q31 仲條さんにとってヒーローは?
(デザイナー 植原亮輔さん)
A ピカソ。
Q32 影響を受けた人は?
(電通 月村寛之さん)
A ピカソ。
Q33 願い事をひとつかなえられるとしたら?
(デザイナー 佐野研二郎さん)
A あまり期待しないし、長生きしても困るし(笑)。成り行きですかね。
Q34 今一番行ってみたいところは?
(電通 月村寛之さん)
A あったかいところ。沖縄とか。
Q35 初恋は?
(30代 世田谷区 フリーター まい泉花子さん)
A 小学校の先生でしたね。
Q36 好きな女の人のタイプは?
(JAGDA事務局 諫山佐樹子さん)
A 意外とまちまちなんですよ。優しけりゃいい。
Q37 携帯電話でメールしますか?
(JAGDA事務局 諫山佐樹子さん)
A できません。
Q38 お子さんは3人と伺いましたが、お名前は仲條さんがつけたのですか?
(JAGDA事務局 諫山佐樹子さん)
A 子供の名前は失敗しちゃってね。番号でいいと思っていたから、123で、「一哉」、「有二」、三番目は女の子で三子ってわけにはいかないから、その時たまたま撮影で札幌にいて、外は雪が降っていたから「雪」。次の日に「色白か?」って聞いたら「黒い」っていうんで失敗したな。と思って。
Q39 奥様と大げんかしたことはありますか?
A 年中ですよ。—— こんな質問ばっかりなの?
Q40 よき家庭人(良き夫、良き父)だと思われますか?
(30代 世田谷区 フリーター まい泉花子さん)
A この間、次男に「親父、子育てしたことないだろ?」って言われて「そうな」って答えたんだけど。あんまり家庭人じゃなかったですね。
Q41 結婚や子供を持つことで、作品に何か変化はありましたか?
(30代 世田谷区 フリーター まい泉花子さん)
A ないですね。
Q42 今回の亀倉賞選考過程に「摩訶不思議で良いのか悪いのかさえも分からない」というコメントがありましたが、そうおっしゃった選考委員に対してひとこと!
(39歳 神奈川県川崎市 会社員 ふじこさん)
A この2、3年、道を間違っちゃったという気もしていてるんですが……。まぁ馬鹿は馬鹿で通そうかって思ってます。
Q43 亀倉先生に対する思い出やエピソードなどを教えてください。
(エディター 小関学さん)
A 当時大阪から、早川良雄さんや田中一光さんや永井一正さんらがどっと東京に出て来て、僕なんかふっとんで消えちゃったんですよ。亀倉さんに「お前はかわいそうに、路傍の石だ」ってよく言われました。
Q44 ロケでよく外国へ行かれますが、外国にあって日本にないものは何ですか。
(エディター 小関学さん)
A 同じものを日本でやっても目立たない。だから外に探しに行く。
Q45 東京の良さは何ですか?
(エディター 小関学さん)
A 東京は大変な文化都市だって思いますけどね。
Q46 もし、明日が地球最後の日だとしたら、どこに行きたいですか?
(デザイナー 植原亮輔さん、エディター 小関学さん)
A またそんな意味のないことを(笑)。みなさんと同じで、うちにいるでしょうね。
Q47 無人島に一つだけ持っていくとしたら何を持っていきますか?
(エディター 小関学さん)
A 飛行機に行くまでにどうにかしちゃうだろうね、引き返しちゃうかもしれないし(笑)。
Q48 いま10歳だったら、将来どんな仕事につきたいですか?
(ポンヌフ・りくるう太さん)
A 答えようないね。
Q49 いまデザイン学生だとしたら、誰の弟子になりたいですか?
(ポンヌフ・りくるう太さん)
A 学校ってところは課題出して、放し飼いみたいなところでしたけど、日宣美があったんで亀倉さんがいたり、河野鷹思さんがいたり。それが先生みたいなものですね。僕は、「作品を見てください」っていうのはいいけど、「見て批評してください」っていうのは嫌いでね。事務所にもよくそういう電話がかかってくるけど「君が一番よければいいんじゃないの、僕が何か言ったら変えるの?」っていうと半分来なくなりますね。「俺の作品を仲條に見せてやる!」っていうのだったら、見せに来なさいって言うんです。
Q50 もし自分が女だったら、デザイナーの中で夫にしたい人は誰ですか?
A 女の人には生まれ変わりたくないですからね。女になったらなったでこんないいものはないって思うかもしれないけど。
Q51 最近面白かったテレビは何ですか?
(エディター 小関学さん)
A 深夜にやっていた「不夜城」。人殺しの映画とか好きなんですよ、ホームコメディやラブロマンスは苦手なんです。だいたいザッピングしながら同時に3チャンネルぐらい観てますから。
Q52 一番ずるいこととは何ですか?
(エディター 小関学さん)
A デザインって相当ずるくないとできないと思うんですよ。僕の場合、2重にも3重にもへそ曲げないと出てこない。
Q53 一番賢いこととは何ですか?
(エディター 小関学さん)
A 相当ずるくてもとぼけていい人のふりをすること。
Q54 老後の楽しみはなんですか?
A 沖縄に行ったとしても、1週間でいやになると思うよね……。かといって仕事するのも難しいしね。デザインって闘争心と若さだから。
Q55 ブン殴ってやりたい! と思うヤツはいますか?
(坂 for BANG! DESIGN)
A お前みたいなヤツだって言っておいて(笑)。こんな質問するやつだって。 。
Q56 健康なのと不健康なのとでは、どちらが創作活動に適しているとお考えですか?
(30代 世田谷区 フリーター まい泉花子)
A やっぱり不健康。
Q57 仲條さんは几帳面ですか? それとも大ざっぱですか?
A 両方ですね。お袋と親父と三人で住んでた頃は、僕が酔っぱらって帰ると、玄関から布団まで脱いだものをそのままにするんだけど、お袋は黙って片づけてて。それが幸せだと思っていたんですけど、結婚したら、そうはいかなくなってね。仕事でも、アイデアにつまるといったん机をきれいに片づけて頭をリセットする。そういう意味じゃ几帳面かな。血液型はA型です。
Q58 コンプレックスを感じることはありますか?
A 肉体的にはね、チビでハゲでそんなとこばっかりですよ。才能がもうちょっとあればね……。若くて新しい才能が次々と出てきてる中で、変えられない自分ていうのはやっぱりコンプレックスですね。
Q59 アンディ・ウォーホルはお好きですか?
(イラストレーター 薙野たかひろさん)
A 写真を使ったのは好きですね。花のシリーズとかね。テクニックとかすばらしい人だと思います。
Q60 作品集で、「フジのヤマイは?」の問いに「臆病」とありましたが?
A 人間って臆病じゃないといけないと思うんです。河野鷹思さんが、昔、「君はおっちょこちょいだから、戦争行ったら、一番に鉄砲持って飛び出すタイプだね」って言われたことはありますが。やってみなきゃわからないんです。ロゴでも、線だけじゃ済まない。たいしたものにはならないってわかっててても、スミ入れして、修正して、並べてみないと気が済まない、そういう意味では臆病です。
Q61 仲條さんって、怒ったことはあるんですか?
A 年中ですよ。電話じゃ、家内が「お父さんそんな強いこと言って」って言われるんですが、怒ってるんじゃなくて指示しているだけなんですけどね。まぁ怒っても次の日には反省するし……。向こうが言うのも当たり前だなって思うんですよね。年の功かな。
Q62 都知事選、行きましたか?
A ちょっとね、忘れてまして。石原さんは年が近いから、言うこともね。じじくさくて。でもそれ以外いないもんね。
Q63 アイデアはどんな時?
(19歳 府中市 ふくやまさん ほか多数)
A 僕って古いタイプのデザイナーだから、形で追いかけるんです。一回描いたものをコピー機で輪郭で抜いちゃうとか削り落とすとか、いろいろやって作っていく。僕はね、夜中の3時から5時って自信があって(笑)、打合せも3時からやるとみんなは眠くなってうんうん、って納得させやすい。
Q64 作品制作に息詰まった時、どうしますか?
(AD 佐藤可士和さん)
A 形なら逆さまにしたりとか、ネガにしてみたりとか、いろいろ四苦八苦しますね。最近、展覧会を立て続けにやってきたこともあるんですけど、同じことの繰り返しになっちゃうんですよ。今度の新作なんて3回ぐらい描き直しているんだけど、堂々巡りでね。ヒドイもんだと思います。
Q65 仲條さんにとって「アートディレクション」とはなんですか?
(AD 佐藤可士和さん)
A 僕はADができない人。亀倉さんもADはやらないって人だったけど。ADやDなどクレジットは全部自分の名前。僕もしばらくそうでしたけどね。雑誌をやるようになって、編集長がCDとか。有り難いことにADってなると才能が4分の1くらいで済むわけじゃない。カメラマンを変えると新鮮になったりするし。生き延びるにはADかなと思いますけどね。広告とか、パッケージとかはもっと難しいのかもしれないけど。まぁ、いい仕事ですよね。たとえば「花椿」だと、僕の思っていることに近づけたいというよりも、この本の目的にあわせようと思ってやってます。
Q66 いままでに「デザイナーむいてないな……」と思ったことはありますか?
(デザイナー 佐野研二郎さん)
A 広告には向いてないと思いましたね。後で気がついたんですけど、サントリー「角」の広告も、昔の半3ってこんなちっちゃい広告であったのと同じ発想なのね。資生堂でいうと石鹸が1個あって、「資生堂オリーブ石鹸」って商品名が入っているのと同じことなの。結果としては40年、50年前と変わってない。だけどいまそんなことをする人がいないから。
Q67 気になっている若手のクリエイターは?
(デザイナー 佐野研二郎さん)
A 答えにくいよね。佐野研二郎。(本人だと寂しいかもという司会の意見を受けて)じゃあ佐野研二郎以外(笑)。
Q68 どういった時を「スランプ」として自覚しますか?
(エディター 小関学さん)
A スランプっていうのはいつもついてまわることですからね。あきらめないってこと。たとえば文字作ってても途中でやめないでできるまでやる。だからね、締め切りが早いのは結局うまくいかないんですよね。一週間は放っておいたほうがいい。壁に貼っといたりしてね。一度作ったものでも、だんだん欠陥が見えてくるわけ。そうすると直したくなる。
Q69 「よごし」または「くずし」と美の境界にある判断事由は何ですか?
(元「アイデア」誌編集長 小関学さん)
A 「アイデア」で扉のデザインを小関さんに依頼された時に、カッチリきれいに仕上げたものと、ラフスケッチと両方渡したら、ラフの方が使われたんです。そのおかげでざらざらのものがへっちゃらになった。小関さんが「アイデア」をお辞めになる前に特集を組んでもらったときも、「フジ」の新作が完成してなかったからラフスケッチを渡してね。小関さんのおかげで目を開かされた感じはあります。この手もあるかって。
Q70 ファッションをディレクションする際、「肝」となることは何ですか?
(エディター 小関学さん)
A トレンドにだまされちゃダメだってこと。
Q72 製品やロゴをデザインする時と広告の時との違いは?
(電通 月村寛之さん)
A 僕は自己主張が強いのかもしれないね、いらいらするんですよ。もっと素直にモデルだったり製品の伝え方だったり、計算された方程式があるのかもしれませんけどね。ロゴにしても若い佐藤可士和君や服部一成君たちは書体の選択がうまいなって思うわけ。結局僕のところに依頼が来る時は、既製のものでない、ひとくせあるものを頼んでくるみたいなんだけど。
Q73 優れたグラフィックデザインの要件は?
(電通 月村寛之さん)
A 時代が決めてくれるんだと思います。時代に敏感であればいいんじゃないでしょうかね。
Q74 最近の広告で気になったものはありますか?
A それを見るために新聞を見ているようなものですね。CMもこの頃落ち着いたというか。ADCやJAGDAでも一時、不思議な広告がたくさん出ている時があって面白がっていたんだけど、これで商品売れるのかなって気がしましたね。このごろは、ビールにしてもまともなCMになっていたりして。後退したとは思わないけど、やっぱり広告が大事だって再認識したんじゃないかな。コンサバティブであろうとも前に進んでないと人は見ないだとうと思いますね。 ――もうおしまい?まだ?
Q75 好きな建築家は?
(ポンヌフ・りくるう太)
A 写真も建築も好きなんだけど名前がどうしても覚えらんない。矢萩喜従郎ってわけにいかないしな。僕も、三島に小屋を建てた時に建築家とコラボレーションしたんです。店舗設計もずいぶんやってきたけど、大体出来上がると嫌になるんですよね。そういう体質の奴は建築は危険ですよね。
Q76 月に何回ぐらい朝まで仕事していますか?
A 最近は展覧会の準備もあってほとんど土日休んでませんし、雑誌の撮影も土日もスケジュールに入れてもらってるから……。この1年半ほとんど休んでないですね。
Q77 展覧会の準備と始まってからの印象の違いは?
A ちょっと見たくない、通り過ぎちゃうみたいなね(笑)。ただこれは個人の思いしかないからね。展覧会のオープニングパーティーが一夜の歓楽みたいなものだから、お酒飲ませてみんなをしゃべらせないようにしてね。何人かお電話いただいても、「もう同じようなものですから来ていただかなくて結構です」ってずいぶん言いましたけど。どうも来るなって聞こえるらしいですね(笑)。
Q78 フリーハンドとCGの違いは?
A 当時事務所にパソコンがなかったから、元アシスタントの林修三君の所にいって、ある雑誌の100ページぐらいのレイアウトを夕方5時から昼過ぎまでざあっとやったんです。そしたら、「仲條さん、僕夕べから1回もトイレに行ってません」って。水も飲まないでやってたから。「終わったらうまいもの食わせるからな」って騙しながら(笑)。その時にレイアウトで地紋を使ったんです。「Who Jeer Ma」を作る時、それを思い出しましてね。実際やってみるとね、濃度をかえたり、重ねてみたり、データが重いので、ちょっと変えるのも大変なんですね。林君は、ひどい目にあったと思いますよ。
Q79 「花椿」で気を使っていることはなんですか?
(21歳 東京都墨田区 パッケージデザインアシスタント きーちゃん)
A この雑誌をやってる限りはアイデアや方法論を毎回変えてやろうっていうのがあるんですね。いまほとんどが情報誌でしょ。情報をそのままきれいなレイアウトでやるっていうやりかたもあると思いますけど。たとえば、情報が80%だったらあと20%はね、変なことをする。
Q80 自分で写真を撮ろうと思ったことはないですか?
A ないですね。一度カメラを買ったんですけど、フイルム1本分も撮ってないんです。現像もしてない。
Q81 どんな写真家と組みやすいですか?
A 若い作家タイプの人に「このアングルで撮って」って頼むのは難しいですね。でも全部お任せになっちゃうとこの雑誌の主旨が違ってきちゃうから。昔から一緒に「これどうしようか」ってやってきた人とはやりやすいですね。カメラマンとああだこうだお互いに言いたいことを言いながらやってます。
Q82 うまい写真と下手な写真をどこで見分けますか?
(ポンヌフ・りくるう太さん)
A 昔と写真の良さって変わってますよね。カメラも良くなって、うまいまずいの差がなくなった。そうなるとセンスや発想だけですよね。昔、ロンドンの雑誌を見て、「こいつ面白いね」って編集部の人に探し出してもらってニューヨークで撮影をしました。「アングルが上から撮っていて新しいよね」って言ってたら、ただ身長が2メートルぐらいあっただけ、ライティングもちゃんとできないような奴もいました。それはそれで面白かったですけど。―― あとちょっと?結構うまくいってますね。
Q83 私たちの社会における、デザインの功罪、特に罪について、文化史的にお答え下さい。
(イラストレーター 下谷二助さん)
A へそ曲がりだね(笑)。僕は日本のイラストレーターの技術やセンスは買っているんです。その割には雑誌に使ってないじゃないかと言われるんですけど。彼らは自己完結しちゃってるんですよね。そうなると僕たちはレイアウトのしようがない。アート系にしろイラスト系にしろ、世界でも有数の作家たちがいると思います。僕もTISにだんだん居づらくなっちゃいましたけど。
Q84 どうすれば有名なデザイナーになれると思いますか?
(22歳 神奈川県 多摩美 イトウケンスケさん)
A やっぱり目指すところは大貫卓也さんとか可士和さんとかでしょう。彼らは、広告のなかでグラフィックデザイナーとして機能しつつ、個人のキャラクターもあるみたいな。人とコラボレーションしたり、いろんなことをしながら、社会に立ち向かっている、それが有名になったということであって。作家的に俳句がうまいだの短歌がうまいだのってだけじゃこれからは通用しないよね。僕なんか俳句を作っているのかなっていう感じだから、展覧会しか出来ないよね。
Q85 人のマネをしたことがありますか?
A 最初はやっぱり横尾忠則さんのマネをしたりしましたけど。でもマネすると遠回りしちゃうね。自分が思ったものを素直に表現すると勇気がいるし。ほんとに時代に受けていればフェラーリに乗ってるしビルもたってるかもしれないけど、僕はだめなデザイナーだと思いますよ。歴史的に見ると。亀倉さんや伊藤憲治さんや早川さんたちを追いかけていたようなものですね。今は服部君もいるし、中島英樹君もいるし、潤沢な時代だと思います。けんかするにはいい人がいっぱいいるから。じじいはそうして消えますけど(笑)。 僕自身は、展覧会を何度も続けてやって気づいたんですけどね、富士山は富士山、松の木は松の木って頭の中で考えて、見ないでも描けるっていうか観念的にやればやるほど新しいものが出来るかなと思ったんだけど結局堂々巡りだから、やっぱりもう一度写生に戻らないとね。もうなにやったって間に合いはしませんけど。そうしないと自分自身が新鮮に感動する驚きがないのかもしれない。
……と、トークの内容もだんだん深くなり、ますます会場が仲條さんの話に釘付けになってきたところで、時計は予定終了時間を10分以上オーバー。名残惜しくも85問で終了となりました。
みなさんからいただいた質問はまだまだたくさんあり、全部を仲條さんにお聞きできませんでしたが、生い立ちから現在までを10時間にわたってインタビューした「タイムトンネルシリーズ インタビュー小冊子」を¥500で販売中です。*販売終了いたしました
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1933年東京生まれ。1956年東京藝術大学美術学部図案科卒業。同年、資生堂宣伝部入社。1959年株式会社デスカ入社。1960年フリーとなり、1961年株式会社仲條デザイン事務所設立。資生堂企業文化誌『花椿』、ザ・ギンザ/タクティクスデザインのアートディレクション及びデザイン。松屋 銀座、ワコールスパイラル、東京都現代美術館、細見美術館のCI計画。資生堂パーラーのロゴタイプ及びパッケージデザイン。東京銀座資生堂ビルのロゴ及びサイン計画などグラフィックデザインを中心に活動。TDC会員金賞、ADC会員最高賞、亀倉雄策賞、毎日デザイン賞、日本宣伝賞山名賞ほか多数受賞。紫綬褒章、旭日小綬章受章。2021年10月26日没。
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